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1月12日のメッセージより

2020/01/18(土)

1月12日 降誕節第3主日礼拝

「神は小羊のように」牛田匡 牧師

聖書:ヨハネによる福音書 129 ― 34 

 年始早々からイランとアメリカとの関係が緊迫していたり、自衛隊が中東に派遣されたりして、再び戦争が始まりかねないような、不安が広がっています。戦争が起こるたびに、多くの軍人たちと、さらにより多くの一般市民たちが傷つけられ、犠牲となってきました。それらは勝利や平和のための「尊い犠牲」とでも言うのでしょうか。「犠牲」とは元来は神への献げ物としての「いけにえ」を表わす言葉でした。命を与えて下さると共に、時に災いをもたらす神に、大切なものを献げる事によって、その神の荒ぶる霊をなだめ、平安無事を祈り願うというものでした。そのような行為は、古来世界中で行われていましたが、その中心にあるのは、「ギブ&テイク」、「献げるから頂く」「頂いたから献げる」という交換条件の考え方です。しかし、そのような「犠牲」の思想は、現代もなお一部の人々が犠牲となる事に加担しているのではないでしょうか。

 ヨルダン川のほとりで人々にバプテスマを授けていたヨハネの所に、イエス様がやって来た時、彼は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました。イエス様が十字架に架けられて殺される時まで、徹底して他者を大切にされたその生き様を見て、最初期の教会の人々は、このイエス様こそ、かつてイザヤが預言していた「苦難の(しもべ)」であり、人々の救いのために屠られた小羊だった(イザヤ5347)と理解し、このように福音書に記しました。

 古くユダヤ教では、人間はケガレる度にくり返し贖罪(しょくざい)の儀式をして清める事が必要でした。そして、そのためには犠牲が必要でした。ですが、神の小羊イエス様は自らの血によって、永遠の(あがな)いを成し遂げられました(ヘブライ913)。即ち、イエス・キリストの十字架によって、全ての犠牲に終止符が打たれたので、もうこれ以上、動物の血を流しいけにえを献げる必要がなくなったのです。またイエス様はたびたび「私が求めるのは慈しみであって、いけにえではない」(マタイ913)とも言われました。

 「神は小羊のように」。イエス様は「最後の犠牲」の小羊として、クリスマスに弱い小さな赤ん坊としてお生まれになりました。それは今も何かのための犠牲となっている人々、弱く小さな立場に追いやられている人々の所に、イエス様が共におられるということです。そのような小さな存在を大切にされる神様と共にあって、私たちもまた全ての命に犠牲を要求しない、全ての命を大切にする歩みへと、導かれていきます。

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