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8月31日 礼拝メッセージより

2025/08/31(日)

2025年8月31日 メッセージ「相手の中に神を見る」より

牛田匡牧師

聖書 コロサイの信徒への手紙 3章18節-4章1節

 「妻・女は、夫・男に従いなさい」(18)、続いて「子どもは親に従いなさい」(20)、そして「奴隷は主人に従いなさい」(22)と記されているこれらの言葉は、「家庭訓」と呼ばれるものです。しかし、福音書に記されているイエス様の言動は、そのような閉じた関係性に留まるものではありませんでしたし、また「あなたがたは皆、真実によって、キリスト・イエスにあって神の子なのです。キリストにあずかる洗礼(バプテスマ)を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです」(ガラテヤ3:26-28)と記すパウロの言葉によっても、聖書が伝えているのはむしろ反対のように思われます。それにもかかわらず、このような「家庭訓」が聖書の中に記されているのは、この「家庭訓」が、当時の社会を支配していたローマ帝国の価値観や家庭観に基づくものだからでした。

 最初期の教会は厳しい迫害を受け、人も文書も次々に処分されていった時代の中で、そのような時代を生き残り、他の人々に書き伝え、残し伝えていくために、表面的にはローマの価値観に従った文書を書きつつ、本当に伝えたかった真意は、別にあったと思われます。そしてその真意とは、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」(23)、言い換えるならば、「何をするにも、それは人間に対してすることではなく、神様に対してするのだと思って、気持ちを込めて行ってください」ということだったのだろうと思います。自分の中だけではなく、相手の中にも神様の存在が確かにあるということを認める時、私たちは決してその相手をぞんざいに扱うことはしないはずです。そのようにしてお互いが相手の中に共におられる神様の存在を見出していく時、この世界には愛と平和が広がっていくのではないかと思います。

 「戦後80年、二度と戦争は繰り返してはならない」と言いながら、今日、世界はまさに戦争への下り坂を下り始めています。たった今もあちこちで多くの血が流され、命が奪われています。そのような大きな暴力が振るわれている中で、それでも光が暗闇に閉ざされてしまわないように、私たちは命と平和の神に祈り求め、そして全ての命が生かされる道を歩み続けます。

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