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4月27日 メッセージより

2025/04/29(火)

2025427日メッセージ「神はいつもあなた方と共にいる」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 281120

 今回のお話は「マタイによる福音書」の最後の場面でした。十字架で処刑されたイエス様は3日目には死から引き起こされて、ガリラヤで弟子たちと再会し、「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」(20)と言われました。この言葉から思い出されるのは、「マタイによる福音書」の冒頭「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。これは『神は私たちと共におられる』という意味である」(1:23)という言葉です。クリスマスに「神は私たちと共におられる」と呼ばれる方がお生まれになり、最後の28章では復活させられたイエス様が「私はいつもあなた方と共にいる」と宣言される。その二つの言葉に挟み込まれる形で、この福音書は記されていますから、この福音書に記されている物語は全て「神が共にいて下さる」ということはどういうことか、その中で私たちはどのように生きていくことが出来るのか、ということを表しているとも理解することができます。

 19節に述べられている「バプテスマ(洗礼)」とは、元来「死とそこからの引き起こし」の象徴でした。イエス様の十字架上での受難のように、私たちも死にそうな目に遭うことがあります。とても生きていられないような苦しい目に遭うことがあります。そのような苦難の中にあっても、神と共にあって、そのような「死」の中から引き起こされて生きることが出来る。なぜなら、復活のイエス様が、今もいつまでも共にいて下さるから。「そのことを全ての人々に身をもって伝えて行きなさい」。「一人一人が自分事として、自身の歩みで周囲に示していきなさい」……。それこそがイエス様の遺言、残された最後の命令の意味だったのではないかと思います。決して、いいことばかり、楽なことばかりではない現実世界の中で、「死から引き起こされた復活のイエス・キリスト」と共に生きる。私たち自身が「復活の命を生きる」とは、神が今もこれからも、いつでもどこでも共にいて下さるということに、信頼して歩むということ。安易に「大丈夫」とは思えないような時でも、「神様が一緒にいてくれるから大丈夫。周りで支え助けてくれる仲間たちと一緒に、思い切って一歩を踏み出してみよう」と思って、信頼して歩みを起こしてみること、ではないでしょうか。復活のイエス様は、今日も確かに、私たち全ての人々と共におられます。その真実の言葉によって、私たちはまた今日もここから、導かれて参ります。

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